いち





「いかん……、これは……非常に良くない」

秘密の軍事組織、ミスリルのエリート戦闘員である相良宗介は、大量の脂汗を流しながら呆然と呟いた。
物心ついた頃からアフガンゲリラとして戦い、各地の戦場を転々と渡り歩き、今はミスリルで特殊対応班、要するに戦闘の実働部隊として活動している。
もちろん数え切れないほどの修羅場も、数々の危険も経験してきた。

そんな彼に今、これまでとは次元の違う、または超越した厄災が降りかかって来たのだ。

「………………」

ポタポタと床に汗を落としながら、一回りも二回りも小さくなった自分の両手を見つめる。
三時間前に睡眠を取り始めたときには何も異常はなかったはず。なのになぜ今はこのような事に……。
もう一度自分の身体を見回す。昨日までのあの鍛え抜かれた身体は何処にもない。
その代わりにどんな悪人であろうが、どんな善人であろうが必ずは経験する無垢な時代の身体、すなわち幼児の身体がそこにあった。
寝る前に着ていたズボンはサイズ違いのためにするりと脱げ、今はブカブカのTシャツだけ、と言う悩ましい(?)姿になっている。

口を一文字に締めたむっつり顔という普段通りのそれだが幼児体型のためどこか可愛らしく、ざんばらな髪がまた愛らしい。
もしこの場に宗介の因縁のライバル。ガウルンが居たら……

「か……、か…………、カシムゥゥゥゥっっ!!!」

と言いながら怒濤の勢いで抱きついてくるだろうほどの魅力があった。
しかし宗介はそんな事などどうでも良いらしく、必死になってこの不可思議な現象の原因を調べている。

「日本に帰ってきたときにも特に異常はなかった。それに何か異常な行動を起こした記憶もない。と言うことはメリダ島に居た間に何かが」

必死になって記憶の糸を手繰る。宗介はふだん日本にいて、千鳥かなめと言う少女の護衛を任務にしている。
しかし緊急召集が掛かればすぐにミスリルの西太平洋の秘密基地、メリダ島に飛び仲間と共に任務に従事するのであった。
三日前にもその召集が掛かって行って来たのだ。その任務は比較的簡単だったのですぐに終わった。
だが不幸なことに嵐が近付いていたのでメリダ島を離れることが出来ず、一日をそこで過ごすはめになる。
しかしだからと言ってダラダラと過ごすはずもなく、任務の報告書の作成や戦闘訓練などをして日を終えた。

「やはり何も問題は…………むっ」

苦しげに糸を手繰っていた宗介は微かな引きを感じた。

「まさか、夜にクルツと酒場に行ったときのアレか」

クルツとは宗介の同僚で友人のクルツ・ウェーバーの事である。
金髪碧眼の美青年で映画スターや一流モデルにもひけを取らないルックスの持ち主だが、
一度口を開くとそれを帳消しにしてなお凌駕する下品さを醸し出す珍しい人物だ。宗介とは正反対の性格だが意外に仲が良い。
あまりの正反対ぶりに相性の針が同じ所に戻ってきてしまい仲が良いのかもしれない。

そんな二人がその日の夜、クルツの誘いで酒場に行った。
そしていつも通りの席に座り、いつも通りクルツが一方的に話し掛け、いつも通り宗介が相づちをうったり、
一言二言喋ったりすると言う、ホントいつも通りの光景が繰り広げられていたのである。

だが、そんないつも通りの記憶に若干の違いを見つけた。

「おい、ソースケっ」
「なんだ」
「おまえ、いつもジュースばかりじゃつまらないだろ?」
「そんなことはない」

カウンターに肘をつき、ニタニタと何かを企んだ邪悪な笑みを向けるクルツ。
宗介はその企みを全く受けつけないとでも言うような、隙の無さでそう言ってジュースを飲んだ。

「アルコールは脳細胞を破壊する。この仕事を長く続けたかったら」
「はいはい……、まあ、そうかたい事言うなって。今日はそんなカチカチソースケ君にプレゼントが有るんだ」

相変わらず、計算の答えのような予想通りの返答をしてくる宗介の言葉を早々に遮った。

「プレゼント?」
「そう……、これだ」

怪しげな小瓶が懐から現れた。
なんかこう魔術的な形状をした、くしゃみをすると中からハンバーグ好きの大魔王が出てきそうな小瓶である。

「何を企んでいる」

目一杯不審そうな目でクルツを見つめる宗介。明らかにこの小瓶は胡散臭い。

「何も企んでないって。……ったくそんな目で見んなよっ。ただのジュースだよ」
「ジュース?」
「そう。この前の任務の時に逢った幻の原住民。モエ族の長老に貰ったジュースだよ」

その任務とはインドネシアのとある島に潜んでいたテロ組織の隠れ家を掃討すると言う任務である。
その際、たまたまモエ族と遭遇したのだ。

モエ族は、幻の部族と言うだけあってその正体は謎に包まれている。部族研究の学者達が彼らを捜しても絶対に見つからず、
別に逢いたいと思っていなかった者がブラブラしてると何となく現れるのだ。それでも遭遇する確率は何となく低い。
そんな幻の部族、モエ族と遭遇したクルツはその長老と意気投合したらしく、別れの際にこのジュースを何となく貰った。

「なぜお前は飲まない。毒でも入っているのか?」
「かぁー! ……お前は親友の俺を疑うのかっ!?」

クルツが大げさに天を仰ぎ見ながら言った。

「俺は酒で良いんだよっ。お前はいつもそればっかだからたまには違うモノを飲ませてやろうと思ったんじゃないかっ」

それにこれは身体にいいものでモエ族の健康維持や滋養強壮に重宝されている有り難い飲み物なのだ。きっと。

「それを何だよお前」
「すまない。……しかし」
「大丈夫だってちゃんと調べて見たから。毒物の反応はゼロだって。果実をすり潰したのとかが入ってるみたいだぜ」
「そうか、では頂こう」

少しだけ考える素振りを見せた宗介だったが、すぐにそう言うとクルツから小瓶を受け取る。
そしていつも通りの表情(心なしか汗をかいている)で見つめた後、静かに口を付けた。
クルツは興味津々という表情で宗介の顔を覗く。

「…………むっ」
「どうだった?」

箱から何が出てくるのか楽しみで仕方がない子犬の様な表情で、クルツは宗介を見る。
半分ほど飲み干したところで一息つき、

「…………うまい」

長い沈黙の後、宗介が唸るように呟いた。
まるでヤムイモとタロイモを足して二で割ったような芳醇な甘みが……。

「まぢでっ!?」

予想外だとでも言わんばかりの表情で声を上げるクルツ。
やはり宗介を実験台にしただけのようだ。

「ちょ、ちょっと俺にも飲ませろよっ!」

そう言って小瓶をひったくると勢い良く飲み始めた。
そして豪快に吐き出した。

「グヘッっ! ぺっ、ぺっ……、な、何だよこれっ! 滅茶苦茶不味いじゃねーかっ!」

狂ったように喉をかきむしりながら叫んだ。
液体が通った部分が腐っていくのではと錯覚するぐらいに不味い。

「そうか?」
「不味いなんてもんじゃねえよ。これならまだ自分の小便飲んだ方がましだよっ! ソースケ、お前騙したな?」
「別に騙したつもりは無い。俺は純粋に美味いと思っただけだ」
「じゃあ、もう一回飲んでみろよ。」
「解った。」

頷き、小瓶を再び口に付ける。

「どうよ?」
「うむ、美味い」
「くぅぅぅ! なんだよお前の味覚はっ! いくら戦争屋だからって限度があるぜっ! これ飲める奴なんて狂ってるって……、キ○ガイだよっ!」
「だが美味いモノは美味い」

その無垢な態度が余計に癪に障る。

「あーもう良いっ! オヤジッ! ビールくれっ! ビールっ!」



………………。
…………。
……。



「あの飲み物に何かが」

いぜん両手を見ながら、宗介は回想を終える。
すでに日は昇り、マンションの周囲には微かな賑わいが出始めていた。

「原因は多分アレしかないだろう。しかしそれが解った所で現状は何も変わらない。
このままでは任務にも支障をきたす可能性がある。いったんデ・ダナンに連絡するか」

取り敢えず今後の行動を決めると、部屋の隅にある通信機器に近付いた。
すぐにオペレーターが出て、用件を伝えると仲間のメリッサ・マオ曹長が出た。
中国系のアメリカ人で元海兵隊。今は宗介、クルツとチームを組みそのチームリーダーをやっている。
ベリーショートの黒髪に猫を思わせるような魅惑的な瞳、その戦闘力に見合わない抜群のスタイルを持つ美女である。

「はろーソースケっ、どうしたの?」
「大変だマオ。体が小さくなった」
「……はぁ?」



元々口ベタな所がある宗介がこの様な非現実的な事を伝えるのは普段の任務をこなすことよりも困難な事であった。
事実、半信半疑で理解して貰うのにでさえ三十分以上の時間を要した。
何とか話をつけた宗介は取り敢えずメリダ島に向かうべく同じ市内の調布飛行場へタクシーを走らせている。
そして調布飛行場からセスナ機を使い八丈島の小さな飛行場に行き、そこから別のプロペラ機に乗り換えメリダ島に行くのである。
ちなみに現在の服装は試行錯誤で元の服を加工して身につけていた。

「むっ、チドリに連絡をしておかなければ」

そう言って携帯を取り出す。千鳥かなめとはいつも一緒に登校しているので連絡する必要があるのだ。
若干、脂汗を流しながらダイヤルを見つめる宗介。下手な任務の時よりも遥かに緊張している。
彼女は急な任務などが入りその事を告げると、不思議と不機嫌になるからである。
その後の彼女の態度にはいつも困惑させられてしまうし、不機嫌さには手が負えない。
ゆえに恐ろしさから指を震わせ、ダイヤルを押していく。

「なによ」

繋がった途端に不機嫌な声。まだ寝起きの機嫌の悪さが抜けていないようだ。

「あ、ああ、チドリ、早朝から済まないが、落ち着いて聞いてくれ。悪い報告だ」
「………………」

うわ、静かなる殺気が……。

「で、そのヘリウムを吸ったような声で何を報告するつもりですか、サガラソースケ軍曹殿」
「いや、ヘリウムを吸ったわけではない。そんな無意味な行動はしない。
それよりもだな……、実は緊急事態が発生してしまって、今日は学校を休むことになった」

ジャングルで敵に囲まれたときよりも遙かに緊張しながら言葉を紡ぐ。

「は? アンタなに寝ぼけたこと言ってんのよ。昨日帰ってきたんじゃないの?」
「ああ、そうなのだが、また緊急事態が起こってしまったのだ」

「それじゃあ今日の宿題提出どうするのよ! 私があんなにコツコツ丁寧に教えてあげたのに提出日に消え失せるから、
アタシが先生に涙を流しながら土下座して提出期限を延ばしてやったのにアンタは、感謝するチドリ。何とか間に合いそうだ。とか言ったそばから、
それすらも守れなくなりそうになって、だから色仕掛けすら使ってあと一日だけ! って引き伸ばしたのに、それなのにアンタはまたいなくなるって言うの!?
どの口がそんなことを言ってんのよ! ああ! この軍曹野郎! 」

「す、すまない。しかし、こ、これは今までに無いくらい危機的で緊急を要する事態なのだ」
「こっちだって充分に危機的で緊急を要してんのよ! 今度は身体を売らないといけないわよ! 責任とってくれるんでしょうね!」

いや、そこまでしなくても良いと思うが……。
宗介もそう思ったようで何とか言葉を発そうとするが、かなめのマシンガン口撃に休みは無い。

「ああもう分かった! もう良いわ! 今回で最後よ! もう次はないから!
次も同じことをしたらアンタはもう日本の土を踏みしめることは出来ない! 覚えておきなさい!」

「あ、ああ。本当にすまない、チドリ」
「で、いつ帰ってくんのよ」
「わからん。事態は流動的だ」

「……………………」


……………………切れた。
色んな意味で。


「……………………」

黙って携帯を見つめる。もう彼女の声は聞こえてこない。

「もしかすると、こっちの方が危機的なのか?」

力なくそう呟いた宗介の額からは、途方もない量の汗が噴き出し続けていた。


…………。
程なくして飛行場に着き、待ちかまえていたセスナ機に乗る。




■   ■   ■



約二時間後、八丈島に着くとすぐにプロペラ機に乗り込み約五時間。
滞り無くメリダ島に到着した。

「一体何なんだよソースケの奴」
「さあ? 体が小さくなったとか言ってたけど」

発着場で宗介が降りてくるのを今か今かと待つマオとクルツ。

「小さくなっただって? そんな事あるわけね」

クルツはその言葉の全てを言い終わることが出来なかった。
マオも今まで誰にも見せたことの無い、間抜けな顔である一点を凝視する。
視線の先にはざんばら頭にむっつり顔の黒髪の幼児。
服は大人用の者を無理やり加工して小さくした迷彩服。表情はやけに精悍だが所詮は幼児なのでどこか愛らしい。
そんな幼児がトコトコとこちらに歩いてくるのである。しかも幼児なのに歩き方に隙がない。(笑)

その様子を見てクルツは盛大に倒れた。
声帯を嵐のように震わせ、両手でお腹を抱えながら……。
マオは宗介の姿が謎のツボに強烈にヒットしたらしく、思い切り走り寄っていきその胸に力強く抱きしめた。

「ま、マオ!」

宗介は顔面に感じる柔らかい感触に驚きながら、ただあたふたとするだけであった。





 



 




 

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