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「いかん……、こ、これは……非常に良くない」秘密の軍事組織、ミスリルのエリート戦闘員である相良宗介は、いつものむっつり顔を僅かばかりに赤らめながら呟いた。
物心ついた頃からアフガンゲリラとして戦い、各地の戦場を転々と渡り歩き、今はミスリルで特殊対応班、要するに戦闘の実働部隊として活動している。
もちろん数え切れないほどの修羅場も、数々の危険も経験してきた。そんな彼に今、これまでとは次元の違う、または超越した厄災が降りかかって来たのだ。
「んもぉ! 最高に可愛いわぁソースケっ! 食べちゃいたいくらいよ!」
宗介の顔を自らの豊かな胸に埋めながらマオが言う。
木石、というか墓石に手足がついたような朴念仁の宗介でさえ、この目の前に広がる甘い柔らかさに気恥ずかしくなり顔を染めている。「ま、マオ……そ、その……離してくれないか?」
いつまでもこの状態では流石に居心地が悪いし不毛だ。
自主的にやめてくれる気配も無いので頭をかいぐりかいぐりされながら宗介は懇願した。
しかし体格差というか今の体勢というか、とにかくこの状態でそういうお願いをすると言うことは、上目遣いでおねだりをすることに他ならないのである。
しかも若干頬を染めているのだからこれはハッキリ言って胸キュンである。もしこの場に宗介の因縁のライバル、ガウルンが居たら……。
「う、うおぉぉぉっ!!! ……ラーヴリィィィカァァァシムゥゥゥ!!!」
と完璧な腹式発声で絶叫しながら、ソースケのスベスベな頬に頬ずりしていただろう。
もちろんガウルンですらそのような状況に陥ってしまうのだから、マオにもかなりのダメージを与えているのは想像に難くない。
実際にその表情を見てマオは頬擦りをしながら抱擁をさらに強くした。「むぐぅ!」
それにより更に柔らかさを堪能することになる宗介。
「姐さん……お、俺にもしてくぶべらっ!」
クルツが飛んだ。
■ ■ ■
「ほ、本当に宗介なのか?」常に冷静沈着なアンドレイ・カリーニン少佐でさえこの反応であった。
無理もないだろう。突然の訪問で姿を現したのがこんな小さな子供だったのだから……。
ちなみにアンドレイ・カリーニン少佐は宗介の上司。陸戦隊指揮官である。
彫りの深い顔に灰色の髪を後ろで束ねたナイスミドルだ。「肯定です、少佐」
カリーニンの問いかけにちび宗介は姿勢を崩さずに答えた。
後ろではマオが手をワキワキさせながら満足そうに微笑んでいて、その横ではクルツが赤くなった頬を抑えながらブスッとした表情で立っている。「しかし、つい先日会った時よりも幾分体が小さくなっているように見えるが……」
「はい、仰る通り幾分小さくなりました」非常に馬鹿丁寧で律儀なやり取りである。その真面目さが非常にシュールな雰囲気を場にもたらせている。
なにせ貫禄ある軍人と、妙に凛々しい幼児の会話なのだから。「原因は分かっているのか?」
「はっ、推測の域は出ませんが、おおよその見当は……」
「そうか。では聞かせて貰おう」
「はっ、了解であります、少佐殿」
………………。
…………。
……。
「と言うことは、その飲料水になんらかの原因があると言うことだな」現時点で推測し得うる原因を説明されカリーニンは顎に手をやった。
およそ信じられないふざけた話だが、目の前の部下、相良宗介が嘘をつくようなタイプではない。ならばそれは真実なのだろう。「肯定です、少佐」
「で、その飲料水は何処にある」
「すでに内容物は摂取し、容器は廃棄しました。」
「そうか……、しかしまだ容器は見つかるかもしれん。内容物の残滓があれば解析も可能だ」解決の糸口がそこにあるはず。
「ウェーバー軍曹」
「なんすか?」
「容器の捜索を一任する」
「うげぇ! い、いやっすよ、そんな面倒臭いことっ! 施設中隊の連中にでも頼めば良いじゃないっすか!」
「元はと言えば君が原因だ」そう言って鋭い眼光でクルツを見据えるカリーニン。
このような作用を及ぼす物質であればブラックテクノロジーが関わっている可能性すらある。「へいへい、分かりましたよ」
物凄く嫌そうな顔をしながら、クルツは部屋を出る。
「マオ曹長はM9の新装備に関する報告書を今日中に提出の筈だが……」
「も、もちろん心得てます少佐」これから宗介と何をして戯れようかと考えていた矢先に出鼻をくじかれ顔を顰めるが、クルツの時と同様の眼光で見据えられ、肩を落とし部屋を出た。
「相良軍曹は大佐の所に行き現状を報告して、その後の指示を受けろ」
「了解です」
「では以上だ」その言葉にソースケは敬礼を返し、部屋を後にした。
「何というか……アレだな。(赤)」一人残った部屋の中で、カリーニンが呟いた。
彼のいなくなった扉、まだ後姿が脳裏に焼きついていた。
■ ■ ■
さて、今日のテッサは程良く忙しかった。
それはまあ忙しくない日を探す方が難しいくらい多忙な身ではある。
朝から定例会議、デ・ダナン整備の監督、そして会議、そして監督、と見せかけて報告書の処理をしたりと言う具合……。
今も山積みにされている書類の数々を相手にモゴモゴと悪戦苦闘していた。彼女、テレサ・テスタロッサはミスリルの西太平洋戦隊の指揮官でもあり、強襲揚陸潜水艦トゥアハー・デ・ダナン の艦長でもある。
階級は大佐。親しい者からはテッサと呼ばれている。宗介と同年代で、大きな灰色の瞳と丁寧に編み込まれたアッシュブロンドの髪を肩に垂らした美少女である。
そんなテッサのもとにカリーニンからの連絡が入ったのが約10分前。宗介訪問の連絡と「心の準備を」という謎の言葉を頂いた。
意味が分からずに首を傾げながらも、宗介に会える事の嬉しさで自然と心が弾む。
肩に垂らした自慢のアッシュブロンドの髪を整え、鏡で顔をのぞき込み自分自身にゴーサインを出す。
すでに仕事は手につかなくなり、宗介到着をそわそわしながら待つのみ。
そこに隣の部屋の秘書官からインタフォンで連絡が入った。「大佐殿……。さ、サガラ軍曹が参りました」
秘書官が告げた。
その声には何故か戸惑いの色が濃く含まれている。「? ……、通してあげて」
どうしたのか理由が気になったがそれよりも早くサガラさんに会いたい。そう思って卓上の受話器を置いた。
そしてすぐに自分の身なりの最終チェックを始める。再度自分にゴーサインを出したと同時に彼の声が響いた。「失礼します」
やった! サガラさんだ! まずは何て挨拶をすれば良いかしら?
愛してますとか……ってそれは急すぎるわテッサ! もっと時間をかけて……、
いえ、それは駄目よ、早くしないとかなめさんに…………、「えっ?」
第一声、気の抜けたような声が思わず出てしまった。
ソースケに対する想いが頭を駆け巡っていたはずなのに全て消去されてしまった。
扉が開いた瞬間、自分が合わせていた視線の照準からかなりずれた下の方で何かが移動してきた。
明らかにソースケではない身長の謎物体が近づいてくる。慌ててそちらに照準を合わせるテッサ。
するとそこには何ともこの空間に似つかわしくない人間が立っていたのである。
簡単に説明するならば「幼児」まさにこの一言につきた。
東洋人のむっつり顔な幼児がトコトコとテッサの執務机に向かって歩いてきたのだ。テッサは目を点にしながら歩いてくる幼児を見る。
幼児は机の目の前、テッサの視線に写るところで立ち止まると、ビシッと敬礼をした。
これがまたカワユイ。(笑)
テッサは頬を染めながらつられるように答礼をする。「ご、ご苦労様。休んで下さい」
思考は硬直しているが、身体に叩き込まれている形式通りな言葉を紡ぐテッサ。
「イエス、マム」
幼児は「休め」の姿勢を取った。
「………………」
「………………」何とも言えない微妙かつほのぼのとした空気が流れている。
「あ、あの……、どちら様でしょうか?」
いつまでもこの微妙な空気にひたっている訳にもいかず、恐る恐る幼児の正体を問う。
「はっ! 相良宗介軍曹であります」
幼児はそう言いながらテッサを見上る。その表情は幼児のくせにとても凛々しく、だけど幼児なのでとても可愛い。
「さ、サガラさん、ですか……?」
自分の想い人はこんなに小さかっただろうか……。確かに面影はあるし、非常に、その……、可愛い。
でもやっぱりこんなに小さいはずは……、でもやっぱりソースケなのだろうか……、「肯定です。……大佐殿」
目の前の幼児は強く強く頷いた。
「で、でも……、サガラさんはもう少し大きかったような」
「突然小さくなりました」強く強く即答する幼児。
「そう、ですかぁ……」
もちろん全く意味は分かっていなかった。
………………。
…………。
……。
「なるほど、そんなことが……。にわかには信じられないことですが、目の前のサガラさんを見てしまった以上、信じるしかないようですね」
「助かります、大佐殿」どことなくホッとしたような表情で呟く宗介。
会う人会う人、幻の珍獣でも見るような好奇の視線を浴びせ、事情を説明しても半信半疑。
素直に納得してもらえると本当に助かる。「いえ、それよりもこれからどうしましょうか?」
「はい、その指示を仰ぎに大佐殿の所へお伺いしたのですが……」
「そ、そうですね。取り敢えず、ゴールドベリ大尉に検査をして貰いましょう」
「了解です」
「その後は私と一緒に食事をとりましょう。色々と聞きたいこともあるし」
「はっ! 了解です」テッサの裏の思惑を全く読んでいない宗介は至極真面目に返事を返す。
「では、検査後にまた来て下さい。それまでに私は仕事を終わらせますので」
「分かりました。では失礼します」愛らしく敬礼し、トコトコと歩き部屋を出ていく。
テッサはそれを見送ると鬼神の如きスピードで書類を処理していく。
だが、突然手を止めると……、「はうぅ〜、可愛すぎですサガラさん」
赤く染まる頬に手を当ててそう呟いた。
■ ■ ■
デ・ダナンの艦医、ゴールドベリ大尉に診察してもらった宗介だったが、やはり原因は不明であった。
唯一分かった事は身体がおよそ4,5才の状態になってしまったことだけ。
容器捜索に旅立ったクルツも収穫を得ることが出来なかった。
酒場のマスターは捨てた覚えはないらしいのだが、完全に姿を消してしまったのである。
不思議なこともあるものですね。用事を済ませた宗介とクルツはテッサの所に向かった。
「そうですか、困りました」
執務室で宗介を待ちかまえていたテッサが検査結果を聞いて小さく唸った。
「これから自分はどうすれば良いでしょうか?」
「んなもん、なるようにしかならねぇだろ?」深刻な表情をしている幼児に対し横やりを入れる大人気ない青年クルツ。の図だ。
「むぅ……」
「確かに現状では、何の解決策も見いだせませんね。取り敢えず本部に連絡して医療チームを派遣して貰いましょう」
「はい」
「そうなると、現在の任務を暫くのあいだ離れる必要があります」
「しかしそれではチドリの護衛は誰がっ!」
「情報部が行ってくれてます。それにその身体では満足な護衛は出来ません」テッサの正論に何も言えず、下を向く。事実その通りなので返す言葉がない。
「心配しないでサガラさん、私がきっと何とかしてみせますから……、少しだけの辛抱です」
どこからそんな自信が湧いてくるのか分からないが、自信満々で胸を張るテッサ。
落ち込むソースケを見ていられなかったのか、自分のポイントを上げたかったのか……。「了解です大佐殿」
宗介は力強いテッサの言葉に強烈な感銘を受けていた。とり合えずポイントは獲得できたようだね、テッサ。
(さすが大佐殿だ。こんな不可思議な状況にも冷静に対処し解決策を見いだすとは)
雲の上の人を見つめるような眼差しでテッサを見上げる。彼女もそれに対して頬を染め微笑んで見せた。
何気に良い雰囲気になる。 もっとも宗介はそんな事に全く気づいていないが……。「腹減った……、飯食いに行こうぜ」
ここにも気付かない、いや気付いていても気にしない者が一人。無遠慮な声で二人の仲を引き裂いた。
■ ■ ■
程なくして三人は食堂に入った。まだ時間が時間なため、閑散としている。
そのまま立ち尽くしているわけも無く、すぐに適当なところに座ったのだが、そこでちょっとした問題が起こった。
そしてそれは三分後に解決した。問題解決後、滅茶苦茶ご機嫌な表情のテッサ。ちびソースケの後頭部を見てニコニコしている。
一方のソースケは戦闘中に敵に囲まれていた時以上の不思議なプレッシャーを感じている。
で、その解決策とは何かというと宗介がテッサの膝の上に乗っていることである。
ミスリルのメリダ島基地にはもちろん子供はいない。
その為食堂の椅子はどれも大人用であり、チビソースケにしてみればべらぼうに高いのだ。「た、大佐殿……、この状況は、非常にまずいのではないかと」
「サガラさんは、私の膝の上……嫌いですか?」
「い、いえ、そのような事はありません。……むしろ光栄です」
「ふふ、ありがとうございます。こちらこそ光栄です。それでは食べましょう」
「は、はい」上手く流されてしまった気がするが、こうなってしまっては仕方がない。渋々と頷く。
だがそうは言ったモノの子供を膝の上に乗せたまま食事をとるのはやはり難しい。
ソースケはソースケで頭上のテッサが気になり食事が手につかない。「困りましたね……これは。(ニッコリ)」
満面の笑みで困惑を口にするテッサ。
そして、仕方ありませんね。と嬉しそうにスプーンを持った。「私が食べさせて上げますね、サガラさん」
「了解です。……って大佐殿それはっ!」
「迷惑ですか?」
「い、いえ、全くそのような事はありませんが、他の下士官に見られては示しが……」
「大丈夫です。今はまだ私たちしかいませんし、それにプライベートな時間です」
「しかし……」
「サガラさん……」
「りょ、了解です」要所要所で発動するテッサの悲しみオーラに為すすべなく意思を曲げさせられる。
泣き落としは女の子の武器。そしてその武器に対しての防御方法をソースケは知らなかった。「ありがとうございます♪」
かなり宗介の扱いに手馴れてきた様子だね、テッサ!
「それでは、あ、あ〜んしてください」
自分で言っておいて少し照れているようだ。頬が染まっている。
そんなテッサの様子をにやにやと見ているクルツ。「大佐殿。……あ〜んと言う言葉によって意図される行動を察することが出来ないのですが」
まぢな表情で幼児が問う。
馬鹿丁寧な口調でそんな事を言っている幼児というのは端から見れば何とも不思議で、事実クルツは腹を抱えて笑っていた。「口を開けると言うことですよサガラさん」
「了解です。大佐殿」
「それじゃあ……、あ〜んです。(赤)」スプーンをちびソースケの口元に近づける。恐る恐る、ゆっくりと。
ソースケは相変わらずのむっつり顔で近付くスプーンを見つめている。それはすぐさま口内に侵入し、宗介の舌に素敵な味わいをもたらした。「ど、どうですか?」
初めてのデートで自分の手作り弁当を食べさせた時のような不安そうな声。
もちろん作ったのはテッサではない。「非常に美味です。大佐殿」
「良かったです」軽く胸をなでおろす。
もちろん作ったのはテッサではない。
「じゃあ、また、あ〜んして下さい」
すっかり緊張感が解け、本当の恋人……、いや本当の姉弟のような自然な振る舞いで食事が始まる。
宗介も特に抵抗せず、口を開けスプーンを受け入れる。すでに二人の空間が出来上がりクルツの存在が消失していた。
■ ■ ■
そして程良く皿が綺麗になってきたところで新たな展開が訪れた。
ソースケちび化の報を受けた女性達が食堂に現れたのである。
彼女たちは食堂に入るやいなや、ちびソースケを見つけ近付いていった。
このような所で働いている彼女たちにとって、今のソースケのような幼児とふれ合う機会は皆無と言っていいほどに無い。
正直飢えているといっても過言は無い。だからこそ幼児出現の報は彼女らの理性を吹き飛ばすには充分な威力を秘めていた。
しかも今の彼の容姿は客観的に見ても激モエである。あのマオですら一撃で撃沈せしめた程の破壊力を秘めているし、
幼い顔立ちでありながらむっつりした表情であるというアンバランス感がより一層の可愛らしさを引き出していた。
スイカに塩を振るのと同じ原理である。(違うと思う)「「「キャー可愛いっ!」」」
女性職員達が歓声を上げつつ、鉄砲水のような怒濤の勢いでちびソースケを目指してくる。
(くっ! ……このままでは大佐殿があの集団に跳ね飛ばされてしまうっ!)
瞬時に危機を察知した宗介は素早くテッサから飛び降りると彼女の手を引き、立ち上がらせた。
そして素早くその場を去り衝撃を回避しようとする。。しかしテッサの身体はそれについてこようとしない。
何事かと少し慌てた様子で後ろを振り返る宗介の目に移ったのは、自分たちの方へ向かってくる集団を呆然と見つめているテッサだった。(まずい、このままでは間に合わない!)
宗介はその判断を下した瞬間からもう動き出していた。
「大佐殿、危険ですっ!」
その言葉と共にテッサを横に押し出し、自分が身代わりになろうとしたのである。
「えっ?」
切羽詰まった宗介の声に、テッサはようやく我に返った。
そして自分の元に飛び込む宗介が視界に入った。
………………。
…………。
……。
取り敢えず声をかけるまでは宗介の計画通りだった。
その後はテッサを思いっきり突き飛ばして強力な衝撃から回避させる。その筈だった。しかし今の宗介の状態を考えて欲しい。
……………………そう、幼児だ。今までの宗介の体格だったら難なくテッサを突き飛ばせたであろうが今の体格ではその様なことがまかり通る筈がなかった。
むしろ大好きな従姉妹のカオリお姉ちゃん(17才)に飛びつくケンタ君(4才)のようになってしまったのである。
テッサの胸めがけてダイビングしていくちびソースケ。思わずそれを抱きしめるテッサ。「「あっ!」」
二人同時に声を上げる。
自分の胸にスッポリと納まった彼(幼児)を見て頬を染めるテッサ。
おいたをしてしまった子供のようにしょぼんとした表情、困った瞳でテッサを見上げる彼(幼児)。
なんとも微妙なむず痒い空気が流れる。「も、申し訳ありません大佐殿っ! こ、これには決して他意は!」
助けるどころか上官の胸、それも地位的には雲の上の人物と言って良いほどに差があるテッサの胸に飛び込んでしまった。
規律を重んじるソースケには自分のした事の重大さが手に取るように分かった。(そ、そんな……、上目遣いで捨てられた子犬のような目を…………か、可愛い)
実際には何の問題もなかった。
しかし問題はそれだけではない。ソースケが自分の位置を変えたことにより、そこめがけて突進してくる鉄砲水、
もとい女性職員軍団が方向を変える、すなわちテッサの方へと。
すでに距離はあってないようなもの。どうすることもできない二人は、ただただ濁流に呑み込まれるしか無かった。
ただ幸いなことに女性達が上手い具合に二人の左右に回り込んだ事もあって強烈な体当たりからは逃れられた。
移動を停止した濁流は蜘蛛の糸に群がる罪人の如くソースケへ襲いかかる。「ちょ、ちょっと待てっ! 一体な、むぐぅ」
あっさりと弄ばれ始めるソースケ。体中を疾風怒濤な勢いで縦横無尽にまさぐられる。
彼女たちはちびソースケのあんな所やそんな所をやりたい放題に触りたい放題である。「ちょっ、ちょっと! やめて下さ……あ、あんっ、だ、だめっ! ……そこはっ!」
ソースケを抱きしめていたテッサも何故か同じ様な運命を辿っていた。その手の趣味を持つものも多いのだろう。
年下の上官というシチュエーションも素晴らしいものがある。「お、おい、大丈夫かソースケ、テッサ。(ニヤリ) …………のべらっ!!!」
どさくさ紛れに女性達の輪の中に入ろうとしたクルツだったが、隙の無い女性軍団によって激烈な勢いで弾き出されていった。
その様はピッチングマシーンに吸い込まれたボールのようだった。それから数分の間、もみくちゃにされるソースケとテッサ。
しかしだいぶ興奮も治まったのか女性達の攻撃が緩み始めてきた。その隙をついてテッサは何とか脱出に成功する。地面に手をつきながら苦しそうに這い出してくる。
そのまま真っ直ぐ進み、ソースケ包囲網から十分な距離を取った所で立ち上がった。そして息を整え深呼吸し、その吸い込んだ空気を前方の包囲網に叩き付けた。「いい加減にして下さいっ! 皆さんっ!」
今までキャピキャピと幼児を堪能していた女性職員達の動作が一斉に止まる。
さすがは西太平洋戦隊の指揮官。やるときはやる。「サガラさんが苦しがってるじゃないですかっ!」
「す、すいません。」女性たちの一人、レミング中尉が申し訳なさそうに言った。
まだ気が治まらないのか、テッサはズカズカと彼女たちの輪をモーゼの如く進み、ソースケを抱きしめ奪い返す。「た、大佐殿っ!? ……むぐぅ!」
突然、テッサに抱きしめられ、苦しげな声を漏らすソースケ。
本日既に数回味わっているテッサの甘い柔らかさが全身を包み込む。
しかしそんなソースケの状況を無視して既にテッサの説教が始まっていた。「サガラさんは玩具じゃ無いんですよっ!?」
「は、はい」
「それにいきなり取り囲んだと思ったらあんな乱暴な事をして」
「す、すいません」平伏しっぱなしなレミング中尉以下数名。
「あとどさくさに紛れて私のお尻を触ったのは誰ですかっ」
その言葉に挙動不審に目を逸らす者が数名いた。
そしてそれから十分ほど、ソースケを抱き上げたままのテッサの説教が続いた。「では今日はこれぐらいでお終いにします。サガラさんも色々と疲れていますから皆さん今日の所はお引き取りを」
テッサのその言葉を聞いて後ろ髪を鷲掴みで引かれつつも食堂を後にするレミング中尉以下数名。
暫くして食堂の外から声が聞こえた。「凄い可愛かったぁ!」
「ほっぺたプニプニしてたわっ!」
「抱き枕にしたいっ!」
「はぁ、はぁ、はぁ、た、食べてぇ。(;´Д`)ノ 」
「カユ……ウマっ!」などと言う様々な想い、情念を含んだ黄色い歓声だった。
(もう困った人たちですね。でもサガラさんのこの容姿を見てしまっては致し方ないことではあります。だってこんなに可愛いんですから。(赤))
遠くなっていく声に思いをはせるテッサ。そして抱きしめていたソースケを見た。
胸の中のソレは流石にこの状態が恥ずかしいらしく、むっつり顔をかなり赤く染め上げていた。(あぁぁぁ! か、カワイイです。可愛すぎですサガラさん。…………こ、こんなにカワイイなんて卑怯です。私にどうすれと言うんですかもうっ!)
訳の分からない不満をソースケにぶつける。
頭の中が入浴後の子供の指くらいふやけ気味になっているようだ。「た、大佐殿、そろそろ離して下さると助かるのですが……」
何とも心地よく居心地の悪いこの状態を打開すべくソースケが申し出た。
「えっ……、あ、は、はい」
「ありがとうございます大佐殿」流石にこのままでいる理由が見当たらないので、表面上は冷静に、だが内面ではひどく残念そうに、抱え込んでいた小さな身体を解放する。
地に足をつけたソースケは律儀に礼を言い、トテトテと離れていった。
もちろんそれを見てムラムラッときてしまうテッサ。(笑)「で、これからどうするんだ。もう宿舎に戻るか? ……パブに行ったって野郎どもの餌食になるだけだぞ。
その姿を見ておかしくなるヤツが間違いなくいそうだし」
「………………(脂汗)」今まで存在が消失していたクルツの言葉を聞いて揚げ物を揚げれそうな程の量の脂汗を流す。
戦場でもたびたび受けた気色の悪い視線や親切が脳裏を駆けた。(こ、これはチャンスです。上手くいけばサガラさんと一緒に)
テッサは脂汗を流すソースケとは反対に涎を滴らせながらある事を思いつき、瞬時に作戦を練る。
(サガラさんに普通に言ったところで間違いなく断られます。だからといって曖昧に遠回しに言っても絶対に気づいてくれない。
私がお酒が好きだという誤解もまだ解けていないですし……。と言うことはストレートかつサガラさんが断れない様な言い訳を考えなくちゃ……。
都合の良いことにマデューカスさんは本部に出掛けていて不在。もしいたら絶対に反対されて……)一世一代のイベントを成功させるための考えを一生懸命に巡らせているテッサ。
通常の任務時よりも回転速く、必死にその頭脳を使っている。
そんな彼女にクルツがさり気なく視線を向けた。(えっ?)
意図が分からず、キョトンとした目でクルツを見る。
彼はテッサに一度ウインクをするとソースケに向かって言った。「あっ、そう言えばお前の部屋、いま修理してたんだ」
「む……、そんな話は聞いていないが」
「そりゃあお前が急に帰ってきたからだよ。ホントは帰ってくる前に終わる筈だったからな」
「しかし、特に修理の必要が有るところなど無かったが」
「そんなもん知らねえよ。必要があるからやってんだろ」
「それはその通りだ。しかしそうすると俺の寝る場所が」不測の事態に困惑し、考え込む幼児。
その間にクルツはテッサに向けて再びウインクする。
流石にそこまでされてクルツの考えが読めないはずもない。
小さくガッツポーズをして勇気を感謝の気持ちを、そして勇気を奮い立たせたテッサ。「さ、サガラさんっ! 私の部屋に来ませんかっ!?」
新入社員の緊張しつつも生き生きとした質問のような勢いでソースケに詰め寄った。
「た、大佐殿の部屋ですか? そ、それは流石にまずいと思いますが」
「イヤなんですか」もう幾度と無く炸裂させてきた必殺のウルウル攻撃。
「い、いえ、その様なことは勿論全くないのですが……。
しかし先程も言ったようにこの様なことを他の者に知られては大佐殿の威厳にも傷が付きますし、戦隊の士気低下にも繋がりかねません」
「そ、そんな事ありません。それに私は困っているサガラさんを友人として助けて上げたいんです」
「しかし……」
「じゃあ、俺の所にくるか?」テッサを裏切ったのか突然クルツが会話に割り込み口を開いた。
「クルツ?」
「ウェーバーさんっ!?」裏切られた!? というようなテッサの悲痛な声。しかしクルツの思惑はちゃんとテッサのためにあった。
「俺の部屋で抱きあいながら熱い一夜を過ごそうぜっ! そりゃあもうベットをギシギシ揺らしながら」
自分自身を熱く抱きしめながら目を閉じ感情を込める。
「絶対に断る」
案の定、気持ち悪さに青ざめながら強固な意思と言葉を返すソースケ。
「だったら素直にテッサの所に行けよ。今は他に空き部屋はないぜ。それとも姐さんの所に行くか?」
「いや、遠慮しておこう。マオの所に行くのは何故か危険な気がする」
「そりゃあ賢明な判断だ。姐さんの所になんか行ったらお前絞り尽くされるぞ」
「絞り尽くされると言う意味は良く分からないが、何となく分かるような気がする」マオが近くにいたときの不思議に熱く濡れそぼった雰囲気を思い出し、ソースケはタラリと汗を流す。
「じゃあやっぱりテッサの所しかないな。テッサはもちろん良いんだよな?」
「え? あ、はい! もちろんです!」
「じゃあ決定。決まりだ。もうこれは絶対に覆らないぞっ。よし行けそれ行けっ!」妙にハイテンションになっているクルツが強引に話をまとめ、宗介をテッサに押しつける。
クルツの顔がテッサの耳元に近付いた瞬間。「頑張れよテッサ」
小さくそう囁いた。そして彼女の肩をポンポンと叩き、去っていく。
テッサは頬を染めながら何か言いたそうにクルツの背中を見つめる。
彼女のそんな視線に気づいたのか、クルツは背を向けたまま「明日ちゃんと結果を報告してくれよ〜」
そう言って手を振る。
親指を人差し指と中指の間に入れているのは何かの合図なのかだろうか。
映像化すると何故かモザイクが入ってしまいそうな合図である。「何を報告すれと言うのだ?」
ソースケは小さな視点でクルツを見ながら首を傾げた。