第一話

 

 

二〇一四年、第三新東京市。
朝、碇家。その一室で気持ちよさそうに寝ている少年。
碇ゲンドウ、ユイ夫妻の間に生まれた子。名はシンジ。

父親であるゲンドウの血が一滴も流れてはいないのではないかと思わせる綺麗な容姿。
性格も良く、家事も積極的に手伝う(むしろ全部やらされてる)両親自慢の息子である。
だが、シンジには一つ変わった能力があった。
それは彼が五歳の誕生日の出来事がキッカケで両親から授かることになったのだ。

というわけなので唐突ですが、回想に入ります。

 

 

「シンちゃ〜ん、誕生日プレゼントですよ〜」
「シンジ、このプレゼントは私とユイが一生懸命選んだんだぞ。心して受け取るのだ」

最愛の息子の誕生日を祝うため、テーブルには特大のケーキを始め様々な料理が並んでいる。
それらを前に、ゲンドウとユイは一つの大きなプレゼントを差し出した。
ゲンドウは先程から空いている手でカメラを持ちシンジを撮影している。

「あ、うん、ありがとう、お父さん、母さん。……それと恥ずかしいから、あんまり近くで撮らないでお父さん」

二人の愛情の篭ったプレゼントは嬉しいが、ゲンドウの愛情の篭りすぎた至近距離撮影はご遠慮したい。
恥ずかしくて少し頬が染まる。なにせレンズと肌が触れ合うような距離だ。はっきりいって肌色しか映っていないような気がする。

「あ、あけてもいい?」
「ええ、いいわよ」
「いいぞ」

冷静な態度を装いながらも嬉しさは隠し切れない。そんな状態が見て取れるシンジが可愛くて仕方がない二人。
ともにシンジを見て生殖器を疼かせながら嬉しそうに返事をかえす。
 
割と駄目な部類に入る両親である。

「じゃあ、開けるね」
 
そんな駄目人間の子とは思えない純粋な態度で、シンジはプレゼントを開封した。
大好きなロボット、エヴァンゲリオンの玩具だろうか? それとも何か他の玩具だろうか?
ワクドキハートを抑えられず、期待を胸に抱きながら箱の中を見た。そして期待が困惑に変わる。

「な、なんなのこれ」
「何って、メイド服じゃない」

ユイはさも当然、子どもが貰って嬉しいものでしょ? と言わんばかりの満面の笑みで言った。

「で、でも……、これ、どうするの?」

メイド服。たしか綺麗な女の人がお手伝いをするために着ている服。
それがどうして誕生日プレゼントなのだろう。これを貰ってどうすれば良いのだろう。
 
「どうするのって着るに決まってるじゃない。……今から」
「そうだぞ、シンジ」
 
それでもシンジは意味を図りきれず首を傾げる。

「あなた」
「ああ」

未だ蚊帳の外にいるシンジから視線を外し、二人はお互いを見合って頷く。
そしてゆっくりとシンジの元へ近づいていった。

「えっ? えっ!? ……なっ、なに? ……なにするの? あ、や、だめ!」

ゲンドウの熊のような大きな手で服が脱がされていく。
抵抗するが、やはり大人が相手だし、一応は大好きな両親なのだ。本気は出せない。
複雑な心境のなか、徐々に自らのを覆う衣服は剥ぎ取られていく。

「お、お父さん……、怖い」
「大丈夫だ、シンジ。私に任せろ。……痛くはしない」

ニヤリ。山賊的なむさ苦しさでゲンドウは微笑んだ。
並みの幼児であればひきつけを起こしても仕方がない恐怖の微笑であったが、
シンジにとっては素敵スマイルだったらしく、胸をときめかせて途端に心を落ち着かせていった。

 

そして三十分後……、

 

「はふぅ〜、シンちゃ〜ん」
「よくやったな、シンジ」
 
目をハートマークにしているユイ。眼鏡をクイと指で持ち上げるゲンドウ。
二人の視線の先には伝説上と言って良いほどの愛らしい天使がいた。
フリフリのメイド服を着た五歳児の天使が。

「良く似合っているわよ、シンちゃん」
「ああ、問題ない」
「な、なんで、ボクが……、こんな……。うう、はずかしいよぉ」

シンジが真っ赤な顔を俯かせて呟く。
ギュウぅっとスカートの裾を握り恥ずかしさを表現する。小さく非難するような上目遣いで二人を見た。

「ボクの誕生日なのにぃ……、プレゼント、楽しみにしてたのに。それなのに何でこれ……。
どうして女の人の服なのさぁ! ボク、男の子なんだから、こんな服着るのやだよ!」
 
すでに性差の認識は芽生えつつあった。男の子が女の子の服を着ることが恥ずかしいことという想いをシンジは少なからず持っているのだ。
もっとも、そのこと自体はそれほど気にしてはいない。プレゼントがメイド服。というのがかなり悔しかったのだろう。
 
「ふはぁ! ……し、……し、シン……ちゃん。……まさか……、それ……、気に入らないの?」
 
全てを賭けて一転集中で買い漁っていた株が暴落した。
そんな壮絶なショックが襲ったかのように膝の力が抜け、腰を落とすユイ。

「すまなかったな……、シンジ」

ゲンドウは覚悟を決め、首を吊る縄を結っている。

「あ、べつに……、気に入らないわけじゃないんだよ? お父さんとお母さんの気持ちは凄く嬉しい。
でもボクは男の子だから、こういうのは。あ、ううん! 大丈夫! 嬉しい! 嬉しいから! とっても大事にするから!」

ユイはリビングに置いてある棚の引き出しから、ドクロマークのついた瓶を取り出し、錠剤を手に取る。ゲンドウはどこに縄を吊るそうか思案中。
それを見たシンジは慌ててプレゼントのフォローをする。

「ほ、ほんとにありがとう、お父さん、お母さん。……ボク、凄く嬉しい」

黙々と行動する二人の袖を引っ張り、止めながら、一生懸命に言葉を紡ぐ。

「そ、その……、似合ってるかな?」

そして降参宣言とも取れる台詞。二人を上目遣いに見つめ、囁くように呟いた。

((ブチン!))

その囁きから数瞬後、太いゴムのような何かがぶち切れる音がした。いや、するやいなや二人が襲い掛かってきた。

「えっ? ……えっ!? ……なに? ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」

抱きしめられ、押し倒され、せっかく着た衣装を剥ぎ取られる。
そしてそこから先の記憶すら奪われてしまった。
ただ、目を覚ましたとき自分はベットに裸で寝ていて、その傍らには、やはり裸で幸せそうな顔をして寝ているユイの姿があった。
ゲンドウはすぐ横の壁に上半身を埋めて眠っていた。

何故だか分からなかったが、シンジの瞳からは涙が止まらなかった。

 

 

それから3ヶ月後。

 

あの日以来、ユイとゲンドウの帰りは遅く、シンジはいつも一人で夕食をとっていた。
ちなみにユイとゲンドウは科学者で人工進化研究所という所で働いている。

「シンちゃ〜ん、ちょっと来て〜」

その言葉によって掃除を中断し、ユイのいる茶の間へ向かう。

「何? お母さん」

リビングに着くとユイが満面の笑みを浮かべてソファーに座っていた。
ゲンドウもカメラを片手に立っている。

「シンちゃん、今日、お母さん達の仕事場を見にこない?」
「え? 本当っ!? お母さん!」
「本当よ、今日はシンちゃんに見せたい物があるの。……どう、行く?」

ユイは部屋を出ていったゲンドウに一切興味を示さず、シンジの手を握りながら聞いた。

「うんっ、いくいくっ!」

最近はユイたちの帰りが遅く、なかなか構ってもらえなかったし、二人が仕事をしている所を一度も見たことが無かったので、すぐに了承した。
あまりの嬉しさにユイの手をブンブンと振りながら。

「ふふふ、シンちゃんったら。イクイクっなんてはしたない。シンちゃんがイって良いのは私の中だけなんだから」

お前の頭も完全にイってるけどな。

「じゃあ準備をしたらすぐに行きましょう」
「うんっ!」

本当に嬉しそうに頷く。
やはりまだ5歳児、駄目親のせいで精神的な成長は早いが、一皮剥けばまだまだ純粋無垢な子ども。親と過ごせることが嬉しくないはずがない。
だから口もとを歪めるユイの想いを悟ることもなく、ただ喜ぶことしか出来なかった。

 

 

「うわー、ここがお父さんとお母さんが働いてる所かぁ」

街はずれにあるこの建物はなかなかに大きく、周りは森で囲まれていた。
中は森の音が遮断されているためとても静かで人の姿も無い。

「なんか寂しい場所だね」

白い壁と廊下が延々続きそうで、シンジは少し怖くなりユイの手を強く握った。
もちろんユイは萌えていた。

「あら今日は休みじゃなかったかしら」

途中で赤木ナオコと言う女性に会った。
ユイやゲンドウと軽く言葉を交わした後にシンジの目線までしゃがみ、挨拶をしてきた。

「ボク、碇シンジ、5さいです。ふつつかものですが、よろしくおねがいします」

シンジはそれに対して丁寧にお辞儀をして挨拶をする。ユイに正しく教えられた間違った挨拶を。
ナオコはそんなシンジを見て目をウルウルと潤ませ、そして手をワキワキとさせた。
シンジはそんなナオコを見て首をかしげる。

「なにか悲しいことでもあったんですか?」

気遣うような声で聞いた。その仕草が強烈にヒットした様子のナオコはシンジをいきなり抱きしめた。
そして手順を何段も飛ばすような手段に打って出ようとする。

ユイの手が伸びた。

 

 

「さぁ、行きましょ、シンちゃん」
「で、でも……」

後ろで恍惚とも苦悶とも取れる表情を浮かべて倒れているナオコを見る。

「良いのよ。アレはロボットだから多少壊れても問題ないの」
「えっ、ロボットなの?」

だったらあんなに酷いことになっても問題はない。

「まだ完全じゃないからたまにおかしくなっちゃうのね。シンちゃんが可愛くてまた故障しちゃったのよ。そうなったら一回壊さないといけないの」
「そうなんだ」
「ええ、だから気にしないで行きましょう」

そう言って前を進んだ。
ちなみにナオコが後日行方不明になるのは完全な蛇足である。

 

 

 

「さぁ、ここよシンちゃん」

案内されたそこには至る所に大きな機械が置いてあり、床には無数の配線が延びていた。
中でも目立つのは部屋の中央にある大きい円柱状のカプセル。
辺りを見終わったシンジは、引きつけられるかの様にそのカプセルに近づいていった。
なにせ怪しさ爆発だ。気になるのも仕方がない。
志村後ろ! 後ろ! 的な無防備さでそこに近づくシンジ。

「シンちゃん、お願いがあるの」

ほらきた!
案の定、カプセルを見ていたシンジにユイが声を掛ける。

「なに?」
「シンちゃんに実験を手伝って欲しいの」
「じっけん?」
 
怪しさ爆発で、日頃散々弄られているはずなのに全くの無防備状態。

「なにをすればいいの?」

しかも声も前向きな色だ。

「そこのカプセルに入ってくれるだけで良いの。やってくれる?」
「うん、わかった」

あっさりとそう言ってカプセルの中に入った。
自分の危機的な状況に全く気付いていないようで、興味深げにユイとゲンドウを見ている。
二人はせわしなく動き、あちこちにある機械を動かしている。

そして全ての作業が終わったのか、シンジの方を見ると手元にあった赤いボタンを押す。
するとカプセルの内部から、ものすごい勢いで黄色い液体が溢れ出してきた。

「えっ! なにこれっ!?」

ようやく自分の危機に気がついた。

「死んじゃう! おぼれちゃうよぉ! 助けてお父さん! お母さん! 助けて!助けてぇ!」

さすがに怖かった。なんの説明もないのに密閉された空間で水が溢れてきたら誰だってこうなる。
瞳に涙を湛えながら強固なカプセルを叩く。まだ華奢な手ではそれを壊すには至らない。むしろその一生懸命さが可愛らしく、心を打つ。

ユイもそれに感化されたのか、号泣しながらカプセルに縋りついてそれを割ろうとする。
いや、犯人お前だし。

「助けてぇ! や、やだ、怖いよぉ……、お母さん、お父さぁん」

グズグズと泣きながら一縷の望みと、助けを求める。
 
「もっと良い子になるからっ、もっと言うこと聞くからぁ! ぅぅ、だから許して、お母さん。ごめんなさい、許して、ゆるしてぇ」
 
すでに首の部分までその液体は迫っている。瞳に涙を溜めながら一生懸命懇願した。
それに対し、ユイも同じように瞳に涙を溜めながら、

「ああ、本気泣きのシンちゃん……、可愛すぎる。……だ、だめっ……あ、あっ……イクっ!」
 
最低な親だった。
そしてそれが薄れゆく意識のなかでシンジが聞いた最後の言葉となった。

 

 

そして数時間後。

 

「うっ、う〜ん」

意識を取り戻し、ゆっくりと目を開ける。視界には涙を流すユイとゲンドウの姿が。

「成功したのよ、シンちゃん!」

まだ思考能力が戻らず、頭がはっきりしていないので、ただぼうっとして続きを促す。

「実験よ!」
「………………じっけん? ……………………なんの?」
「シンちゃんを女の子にする実験よ!」
「ボクを女の子にする実験……、ボクが女の子……、でもボク、男の子だし」
「だからシンちゃんには女の子になって貰ったの! ほら、おちんちんついてないでしょ?
それにちゃんと処女○だってあるしクリ○……も感度良くしたし、○○は……だし……」

とても一般には公開できないような台詞を並べていくユイ。シンジも何がなんだかさっぱりだった。
しかし時間が過ぎていくごとに頭がハッキリしていく。

「……えぇぇー、女の子ぉ!」

そしてついに言葉の意味を理解し、大声をあげて驚く。
ゲンドウがさり気なく見せてくれた鏡で自分の姿を見る。

「顔は殆ど変わってないけど、髪は伸びてるでしょ? 急激な新陳代謝の影響で伸びてるの」
「ど、どうして、こんなことになった……の?」
「シンちゃんが悪いのよ。誕生日にした女装があまりに可愛かったんだもん」
 
そんな、だもんって言われても……。
第一、誕生日にメイド服をプレゼントしたのもユイであり、それを着せてあんな事やこんな事をしたのもユイである。シンジに非は全くない。

「そ、そんな……、なんでボク、男の子……女の子? ホントに……女の子に?」
「事実を受け入れられなくて呆然としているシンちゃんもモエモエね」

相変わらずの鬼畜コメントを繰り出すユイ。ゲンドウも「問題ない」と頷いている。

「そ、そんな……」

事態を完全に理解してシンジが更に大泣きするのはそれから一時間後のことだった。

 

 

 

 

あの悪夢の事件が起こってから数日後。シンジは未だに落ち込んでいた。
食事もあまり喉を通らず、部屋に籠もりがち。
そんなシンジを励まそうとユイが言った。

「シンちゃんは男の子にも女の子にもなれる体になったのよ」

とても嬉しそうな笑顔を浮かべる
シンジの体は不定期で生別が変化するらしい。しかも男の時に女になりたいと望めば変われるが、逆は不可。
一度女の子になってしまえば後は自然に男の子に戻るのを待つしかない。……ということだった。なんたるご都合主義。

「そっ、そんなのいやだよ。どうしてぼくがこんなめにあうの?」
「シンちゃんが可愛いからよ」

打てば響くように即答した。

「そ、そんな、それにこんな身体だったら、みんなにいじめられちゃうよ」
「大丈夫よ、シンちゃんは可愛いから。それにもしいじめる子がいてもその子の頭をちょっといじれば、すぐにいいお友達になれるわ」

慈愛に満ちた表情でさらっとロボトミーなことを口にする。

「それにもしみんながシンちゃんのことを嫌いって言っても、お母さんはシンちゃんのことがずっと好きだから」

そう言ってユイはシンジをそっと抱きしめた。

「あっ」

シンジは顔を赤くする。ユイの抱擁はシンジがこの世で一番好きなもの。
色々と玩具にされることもあるが、これをされると全てを忘れてしまう。

「だからこれでがんばろう、シンジ」

おでことおでこをくっつけ、優しく言う。

「……うん」

潤む瞳を閉じ、シンジは大好きなユイの胸に顔をうずめた。
こうしてシンジは特殊能力を持った少年(少女)になったのだ。

 

 


そして回想は終わり、現在へ。

 

 

 

 

 

二〇一四年、第三新東京市。
朝、碇家。その一室で気持ちよさそうに寝ている少年。
碇ゲンドウ、ユイ夫妻の間に生まれた子供。名は碇シンジ。

彼の朝は早い。午前六時起床。すぐに顔を洗い歯を磨く。
それが終わると朝食と三人分のお弁当を作る準備に取り掛かり、その前後にユイとゲンドウが起き始める。
シャツを後ろ前に着たり、靴下をシャツと間違えて着ようとしたり、いきなり無駄に匍匐前進をしたり、組体操を始めたりと、
朝からボケ倒すネボスケ達への突っ込みや世話が大変に忙しい。

それがひと段落すると朝食である。


「シンちゃ〜ん、早く〜」
「まだか、シンジ」

二人はすでに席について朝食の催促をしている。
両手に箸を持ち、テーブルをトントン叩いてシンジを呼ぶ。
芳ばしい匂いを発する皿を両手に持ち二人の前に置いた。

「はい、できたよ」
「わーい、じゃあ、いただきましょう」

朝食が始まり和やかな朝の時間が過ぎていく。
楽しい楽しい家族団らんである。しかし朝の一分一秒は非常に貴重なものなので、食事を終えるとそれぞれがテキパキと行動に移る。
といっても実際に動いているのはシンジのみで夫妻は呑気にコーヒーを飲んでいる。

そんな二人を余所にシンジは茶碗を洗い終え、登校準備に取り掛かる。
そうなると日課のようにインターホンがなり、当たり前のように無断で侵入してくる何者か。
リビングに足音が接近してくる。

「おはようございますっ、おじさま、おばさま」

勢い良く扉が開き、そこから赤毛の少女が現れた。

「おはよう、アスカちゃん」
「おはよう、アスカ君」

ユイはにこやかに、ゲンドウは無表情で挨拶を返す。
シンジもそれに習い彼女に言葉を返す。

「グーテンモーゲン、シンジ」

実はこの少女、シンジの幼馴染で名を惣流・アスカ・ラングレーという。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能と三拍子揃った完璧で非の打ち所のない人間なのだが、
性格最狂、喧嘩上等、趣味モエモエという時点で見事に相殺されている。

「アスカ、もう少しで終わるから、ちょっとだけ待って」
「もう早くしなさいよ。あんたは昔からトロいんだから。トロと旅してる場合じゃないのよ」
「あっ! それ上手いわアスカちゃん!」
「まったくだ。座布団一枚だな」
「ありがとうございますっ」
 「シンジ君。座布団一枚持ってきて!」
 
ユイが言った。

「…………」

いや、別に上手くないし。そんな呆れがため息になって出てくる。
なんで朝の始まりから一日の疲れを内包したようなため息が出てくるんだか。
茶碗を洗いながらシンジは心の中で思った。

「あ、そうそう! そんなことよりもシンジ、あんた分かってると思うけど、今日水泳の授業あんだから水着忘れんじゃないわよ」
「なっ! そっ、それはっ!」

アスカの親切心から出たはずの言葉に、何故かシンジは慌てた素振りを見せる。

「あら、やっぱりそうなの」
「シンジ、なぜ私たちに言わない?」
「だっ、だって、そんなこと言ったら二人とも見に来るって言うじゃないか!」
「そっ、そんな、シンちゃんは私たちのことが嫌いなの?」
「シンジ、お前には失望した」
「べ、別に嫌いってわけじゃないよ、ただ恥ずかしくて。第一、あんな凄い機材一式もって学校に来られたら、
色んな意味で恥ずかしいに決まってるよ! って言うかやっぱりって何なの!?」
「フフっ、それはね、そうじゃないかと思ってちゃんと相田君に聞いて撮影をたのんでおいたの。今日はどっちみち重要な仕事があって私たち見にいけないから」
「そうだ。だから問題ない」
「じゃ、じゃあ母さん達は最初から知ってたの!?」

「そうよ」
「そうだ」

「ずっと内緒にしてたのに……、くっ! ケンスケ、僕を裏切ったな!」

手のひらで転がされていた自分の無力さと、精一杯の努力が無駄だったことを知り、シンジは沸々とこみ上げてくるものを感じた。

「あっ! 遅刻するっ!」

だがそれも長くは続かず、重要事項を思い出し大声をあげる。

「そうねっ、早く行くわよっ、シンジ」
「うんっ」

「「いってきますっ!」」

そう言うと二人は脱兎のごとく走り去る。

「シンちゃ〜ん、今日はその撮ったのを見るから夕飯はご馳走お願いね〜」

背にしたリビングからユイののんびりした声が響いた。




 



 




 

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