アキトが逆行して女の子になって……





前編




凄まじい轟音が大気を震わせる。
強固な装甲が粉砕されるような音。

それは怨念にも似た執念が結実した瞬間でもあった。


「み……見事だ」

コックピットでただ一言呟き、潰える。
死闘の末に果てることへの満足感からか、北辰の表情には笑みすら浮かんでいた。

「はあっ、はあっ、はあっ」

肩を上下させ、荒く息をつくアキト。
ただ夜天光の残骸を凝視している。

彼の乗るブラックサレナの装甲が剥がれ、中からピンク色のエステバリスが姿を現す。

『アキト君』
「イネスさん……ユリカは」

通信が入り、目前にイネスの顔が……。
開口一番にユリカの安否を尋ねる。

だがイネスはアキトの問いに答えず、顔を俯かせる。

「そう、ですか」

イネスの態度で全てを悟り、高揚の無い声で一言そう言った。
しかしその声色に反してアキトの顔はナノマシーンによってまばゆいばかりに発光している。

『本当にごめんなさい、アキト君』
「いえ、イネスさんには感謝してます」

そう淡々と言って、すぐに通信を切った。

彼女が悪いのでは無い。
自分の弱さが悪いのだ。


エステバリスの内部で壮絶な破壊音が何度も木霊した。




■   ■   ■




火星の全システムを掌握し、火星の後継者を降伏させたナデシコCは、
そのまますぐにユリカの救出に向かい、彼女と遺跡の融合を解除した。

ナデシコCのクルーがユリカを囲むように立ち、目の前には星野ルリが立っている。
すぐ横にはイネスの姿もあった。

ユリカは静かに瞼を閉じ、緩やかに呼吸を繰り返している。
その姿は以前に見られた活発な、天真爛漫なあの頃とは似ても似つかないもの。

火星の後継者の苛烈な人体実験、ボソンジャンプの研究のため、虫けらのように殺されていくA級ジャンパー達。
もちろんユリカやアキトに対する実験も非道の限りを尽くされた。

そんな過酷な実験の連続で瀕死の状態になっていたユリカを火星の後継者たちは仮死状態にし、遺跡と融合させた。
ならば例え遺跡とのリンクを解除したところで、その先に待ちかまえているのは絶対の死。ただそれだけ。

「助かる方法はないんですか!?」
「ごめんなさい、私にはどうすることも出来ないわ」

ルリの詰問にイネスが顔を逸らしながら答える。
今のユリカを救う手だては全く無い。自らの無力さに打ちひしがれるばかりである。

「そんな……あっ!?」

何か、何かあるはずだと、イネスに更なる方策を求めよとしたルリが、
視界の端でユリカの身じろぎを見つけた。

「……んっ」
「ユリカさん!」

「……えっ? ……ルリちゃん?」
「……はい」

眠っていた記憶からルリの顔を検索したようで、弱々しいが驚きを含んだ声を上げた。

「そっか……随分大きくなったね」

微かに笑みを浮かべながら言う。
空港で最後に見たときからすれば、若干大人びたような気がする。
相変わらず胸は少女のままだけれど。それは心の中にしまっておく。

「……はい」
 
決して貧乳を認めたわけではない。
ただ何か言おうにも、何も思いつかない様子で、ただユリカの言葉に頷いているだけ。

「あ、あの……、ユリカさ――」
「あっ! アキトっ!」

やっとの思いで言葉を紡ごうとしたルリを、ユリカの声が遮った。

「えっ!?」

慌てて後ろを向く。
そこには言葉通り天河アキトの姿。黒いマントに黒いバイザー。
そしてそれとは対照的に真っ白な髪の毛の。

「アキトさん」

ルリの呟きに一瞬反応して視線を動かすが、すぐに元に戻す。
その先にはユリカの姿。

ゆっくりと歩き出す。

「アキト、会いたかったよぉ」
「俺も会いたかったよ、ユリカ」
「アキト、もっとこっちに来て……」
「ああ」

涙ぐむユリカの言葉に頷き、片膝をつく。
彼女の背中に手を回して上半身を抱えた。

「ユリカ」

しばらく見つめ合っていた二人……、不意にアキトが話し掛ける。
ユリカは首を傾げ、言葉を待った。

「お前を守れなかった。……すまない」

不甲斐ない自分、情けなさが溢れ、自然と頭が垂れる。

「そんなことないよ、アキトはちゃんと助けてくれたもん。
やっぱりアキトはユリカの王子様だよ。それにアキトはユリカを助けるために頑張ってくれたんでしょ?」

「ああ」
 
時間が掛かったし無様だった。
だけどただユリカを救いたいがために、この身を削り、命を燃やした。

「えへへ……ならそれで十分だよ」

弱々しいながらも嬉しそうに笑うユリカ。
具体的なことは何一つ分からないが、アキトの姿を見れば理解できる。
どれだけの苦難、苦痛を体験してきたのか。

「アキト、その髪の毛どうしたの?」
「ああ、これか。これはただのイメージチェンジだよ」
 
色素の抜けた白い髪の毛を掴んで微笑んだ。

「そっか。アキトは何しても格好いいからね」

ユリカのその言葉に微笑みで答えるアキト。
だが実際の所、実験の肉体的、精神的苦痛やユリカを助けれなかった後悔や絶望の念、
火星の後継者達への復讐心など、発狂してしまいそうな数多のストレスが原因だった。

そんな事を全く悟らせないで会話を続けるアキト。
自分以上にユリカは辛い思いをしたのだ。彼女が笑っているなら自分も笑わなければ。
残された時間を悲嘆で埋めるのではなく、笑顔で埋めなければ。

張り裂けそうな想いを抑えてアキトは会話を続けた。


今は行けなかった新婚旅行をもう一度。という話題になっていた。


「それは良い考えだな。じゃあ、もう一回行くか」
「ほんとう? やったぁ、楽しみだなぁ……」

望みが叶った喜びで表情を綻ばせる、……が、徐々にそれが曇る。
言い辛そうにアキトに聞いた。

「でもアキト……、ユリカ、汚れちゃったけど嫌いになってない?」

長い間、仮死状態にされていたとはいえ、それ以前の実験の内容を忘れたわけではない。
屈辱で心が張り裂けそうになるような仕打ちの連続。

アキトがいるから死なないでいただけ。
それほどの苦痛を受け、身体も汚された。

「何言ってるんだよユリカ、全然汚れてないし凄く綺麗だよ。俺が好きないつものユリカだ」

微かに震える瞼、血色の悪い頬を暖めるように、ユリカの頬を撫でる。
彼女の全てを受け入れるような慈しみと温もりを与え続ける。

「えへっ、ありがとうアキト。……ユリカもアキトのこと大好きだよ」
「ああ、分かってるよ」

アキトはそう言って、ユリカの頬を撫でながら、もう一度微笑んだ。
ユリカもアキトの温もりに浸り、心地良さそうに目を閉じる。

「ねえ、アキト。何だかユリカ眠たくなってきた」

その言葉を聞いて、一瞬、表情を曇らせるアキト。
ユリカの命の火が消え行くのを悟った。

「そうか、ユリカは疲れてるからな。明日起きてから新婚旅行のことを決めよう」
 
何も悟らせないよう言葉を続ける。
いや、もうユリカは気がついているのかもしれない。
自分の身体のことなのだから気がついているのかもしれない。
それでも二人は言葉を続ける。

「うん、そうしよう。明日が楽しみだよ」
「そうだな」
「じゃあおやすみアキト。あっ、その前に……」

ユリカは結ばれたときのような初々しい表情をする。
そっと目を閉じ、顎を上げた。

「おやすみ、ユリカ」

アキトはそう言うと顔を寄せた。程なく二人の影が重なった。
 
「アキト、ユリカはアキトのお嫁さんになれて幸せだったよ、アキトはずっと私の王子様だよ」
 
口付けを終えた後、小さな声と微笑みでそう言って、ユリカは目を閉じた。
そして深い眠りに入る。

永遠に覚めることのない眠りに……。

………………。
…………。
……。

「イネスさん、後は頼みます。……ユリカ、全てが終わったら俺もそっちに行くからな」

バイザーを装着しながら立ち上がる。
ナデシコクルーから離れるために歩き出す。

「待って下さい、アキトさん!」

だがそんなアキトの進路に立ちはだかったのはルリ。
彼女にしては大きい声で彼を止める。

「アキトさん、行かないで下さい!」
「…………」

アキトは無言のままルリの目前まで来ると、静かに歩みを止め、バイザー越しに彼女を見つめる。

「いなくなったと思っていた家族が生きているって分かったのに!
それなのにまた消えてしまうなんて私には耐えられません!」

アキトを見上げながら必死に叫ぶ。
出会った頃とは全く違う、感情の篭った声。
 
「ユリカさんが死んでしまって、これでアキトさんもいなくなってしまったら、私の心は壊れてしまいます!
だからお願いです! お願いだから行かないで下さい!」

涙を流しながら叫びアキトに抱きつく。絶対に離さないという気迫が伝わってくる。
例え腕を折られても離すものか!

「ルリちゃん」

アキトは捨てられまいとする幼子のようにしがみついてくる彼女を見る。
バイザーをゆっくり外し、目線が合うところまでしゃがんだ。

「ルリちゃん」

もう一度、彼女の名を呼ぶ。

「俺はね、まだやらないといけない事があるんだ」
「やらないといけないこと……。脱出した研究員たちのことですか?」
「そう、あいつらを捕まえないといけない」
「では……、それが終わったら戻ってきてくれるんですか?」
「…………」

ルリの期待の言葉に無言で答える。
だがすぐに自らの想いを吐き出した。

「ルリちゃん……。ユリカはね、俺なんかよりよっぽど苦しんだんだ。
そのユリカが助からなかったのに俺だけが生き残るなんて出来ると思うかい?」

「そ、そんなことっ!」

「俺が弱かったばっかりにユリカを守れなかった。
だからせめてあっちでは俺が守ってやりたいんだよ」

「嫌です。嫌です嫌です」

離すまいと必死にアキトにしがみつくルリ。
アキトの頑固さは良く知っている。一度決めたらもう決してそれを覆さないだろう。
だから本当に必死だった。

「おいて行かれるくらいなら私も一緒に行きます! 一緒に死なせてください!」
「ルリちゃん……」
「お願いです、お願いですアキトさん、お願い、です」
 
心を揺さぶるほどの必死さ。彼女の想いがどれだけ真剣なのかが伝わってくる。
それが分かるからこそアキトの表情は曇っているのだろう。
辛そうな表情のまま彼女のことを抱きしめた。

「えっ?」

身体が硬直する。
何が起こったのか理解できなかった。

まさかそんな……、
淡い想いを抱いていた相手からこんなことをされるなど……。

そんなルリの内心も知らず、アキトは言葉を紡ぐ。

「君にはもう一緒に泣いてくれる人、笑ってくれる人、怒ってくれる人がたくさんいる。
そんな君を連れて行くことなんて俺には出来ないし、資格もない。それに俺はルリちゃんに生きて幸せになって欲しいんだ。
それがオレとユリカの願い。だから俺達の分まで幸せになって欲しい。手は差し伸べられないけど二人で見守ってるから」

頬を寄せ合うように抱きしめあう。親子の最期の別れのように……。
アキトは硬直しているルリに優しく微笑み、頭を優しく撫ぜてやる。
そして素早くその場を離れた。

「さよならルリちゃん。君は俺とユリカの大事な宝物だ。幸せにね」
「あ、アキトさんっ!」

正気に戻ったルリは慌ててアキトを呼ぶが、もう遅い。
小さく何かを呟いたアキトの全身がまばゆく光だし、姿が消えた。
そこに数秒前まであった想い人の微笑みは、もう無かった。


「アキトさん……。好きな人がいなくなって、それで幸せになれるわけ……ないです」


アキトが消えた場所を見ながら、ルリは大粒の涙を流し続けた。




■   ■   ■



「ラピス、本当に良いのか?」
「うん」
「まだ引き返せるぞ?」
「私はアキトと一緒。アキトがいない世界なんて考えられないから」
「すまないラピス。お前を巻き込んでしまって……」

全てが終わった今、エリナにこの子を託して自分だけで逝こうと思った。
しかしラピスは発狂するのではないかというぐらいにそれを拒んだ。
たとえここに置いていかれても自分はアキトが死ねば必ず後を追うと……。

(オレが生き続ければ、それで全てが丸く収まるはずなのに、それが出来ない……。
ルリちゃんを悲しませて、ラピスの未来を奪って、その重みを分かっているはずなのに俺は自分のエゴを貫こうとしている)

どこまで自分勝手で最低な人間なんだろう。
いやむしろもう人間とはよべない。それほどの罪を犯してしまったし、身体も蝕まれてしまった。
同じところに逝けるとは思えないが、仮に会えたらきっとユリカは怒るだろう。
どうして自分の分も生きなかったのか、どうしてルリを悲しませラピスを連れてきたのか……。

(仕方ないだろう! お前がいないんだ! この世界にはもうお前がいないんだ!)

ユリカのいない世界で、ユリカを守れなかった思いを抱きながら生きていけるほど自分は強くない。
それが犯した罪への罰なら生き抜くべきだろう。五感を失った骸のような身体で生き抜くことが償いになるのなら。

(でも、もう疲れたんだ。ルリちゃんにはナデシコのみんながいる。
ラピスのことは……ユリカ、君が面倒をみてくれ。もしオレもそっちにいけるのなら協力したいが)

「アキト?」
「ん? ……ああ、もうそろそろだな」

ユーチャリスの自爆スイッチを一時間後に起爆するよう設定した。
ラピスを抱きしめながらその時を待ちつつ、話をしていたのだが……。

「あの頃に戻りたいな。まだ何も知らなかったあの頃に」
「私はイヤ。あそこにはアキトがいないから」
「じゃあオレがすぐに助け出しに行くならどうだ?」
「それなら許す」
「ははは、分かった。もしそうなったらすぐに助けるよ。ラピスはオレの大切な娘だから」
「むぅ」

なぜかご機嫌斜めなラピス。

(ルリちゃんも大切な娘だ。……必ず助けてあげよう。)

そんな決意も先の未来にこそ通用すれ、過去に対するものでは意味も無く虚しいだけ。

「ごめんなラピス。君を幸せにしてあげられなくて……」
「私はアキトに出会えただけで幸せだった。なにも後悔していない」
「ありがとう、ラピス」

淀みのないラピスの想いに心が救われた。
涸れたと思っていた涙が一滴、零れ落ちる。
それを悟られたくなかったのか、アキトはラピスの身体を強く抱きしめた。

「アキト、大好き」
「オレもだよ」




(ルリちゃん……、ユリカ……。……ごめんな)





■   ■   ■




「へぇ〜……これは凄い」

「だろ? ……なにせ愛玩用に作られた特別製だからな。他の強化体も十分美形だが、これはそれを上回る。
しかもこの強化体は他のIFS強化体と違って主人の護衛も考慮されているから動けば強い。はずなんだ」

「へぇ〜〜」

「その代わりオペレート能力は低い。身体能力はずば抜けているがな。あと他の強化体と違って瞳が金色ではなくプラチナ。
愛玩用IFS強化体、通称「セレナイト」それがこいつの名前。さながら月の宝石、月の天使といったところかな」

「なんでこんなもんを作ったんだ?」
「やっぱりスポンサーのご威光には逆らえなかったって所だな」
「じゃあなんで廃棄するんだよ」

「それが上の人間とスポンサーが手を組んでいたらしいが、それは会長の目の届かない所でのやり取りだったらしい。
それでそれが明るみになって会長が中止命令をってわけさ。幸か不幸かこの強化体は生きてはいるが意識が覚醒しない失敗作だったから
そのまま廃棄が決定したっていうわけ。」

「なるほどなぁ〜。会長も妙なところで正義感ぶるからなぁ〜。……で、どうだ? どうせ廃棄されるなら最期に楽しまないか?
こんな上玉とヤれるなんてこの先、永遠にないぞ? 超リアルなダッチワイフみたいなもんだろ?」

「そりゃあそうだが、この強化体は動いたら俺達なんか一瞬で殺されるぐらいの身体能力を持ってるんだぞ?」
「動けばの話だろ?」
「まあ確かに動けばの話だがな……って動いてるぅぅぅ!!??」

円筒形のカプセルの前で、散々その中に入っている裸の美少女の吟味をしていた研究者二人組み。
なにげに視線を美少女に戻すと、その目が意志を持ってこちらを見つめ、手をカプセルの強化ガラスに添えている。

「ここは……どこだ?」

透き通るようなプラチナの髪と瞳に負けないような声で少女が言った。

「ひ、ひぃぃぃ!」

今の話を聞かれたとあっては、最悪殺されるかもしれない。恐怖のあまりその場に腰を下ろしてしまう研究員。
返答の無いのに痺れをきらせた少女は自分を閉じ込めているガラスを粉砕する。

「ここは……どこだ?」

もう一度、目の前の研究員に聞く。が、彼らは答えない。
恐怖に圧倒されているのと、生命の息吹を与えられた美しい存在に目を奪われていた。

愛玩用に作られていただけあって、華奢ながら出るところは適度に出る素晴らしいスタイルをしているし、
容貌もギリシャ語で月を意味するセレナイトの名を授けられただけあって、神秘的な美しさ、少女としての可愛らしさを秘めている。
年のころは十五,六才といったところか……。

(ここはどこだ? ……オレは確かラピスと一緒に死んだはず。それなのに)

気がついたら何やらカプセルに入れられて、知らない研究員っぽいのに見られている。

(あのあと回収されたとでも言うのか……?)

ユーチャリスの自爆で生き残れるとは思わないが、今も意識があるということはそうなのだろうか?
しかしそれよりも気になるのはこの声。ずいぶんと女の子っぽいじゃないか?

オレは一応王子様と呼ばれた人間だ。(自分でいうなよ)
それがこんな声では情けないだろう。それにずいぶん背も縮んでいるように見える。

そのことに気がついたセレナイト(の中の人)は横に並んでいるカプセルに自分の顔を写した。

「………………………………………………」


………………。
…………。
……。


「なんじゃこりゃあ!!!???」

その容姿に全然似合わないリアクションだった。





■   ■   ■





「エリナ君、スキャパレリ・プロジェクトのほうは順調かい?」

「ええ、人員の確保はほぼ終了しているわ。残りもプロス氏が交渉中。
ナデシコの出港準備も予定通り行われている。三ヵ月後の出港に十分間に合うわ」

「それは結構結構。じゃあ意外と僕たちは暇なんだね。……どうだい? これから景色のいいホテルで食事でも。
そのあとは夜が明けるまで人の身体の神秘について語り合うのもいいじゃないか」

「進んでいるプロジェクトは一つではありません。会長に裁断して頂く計画は山積みです」

ネルガル重工会長、アカツキ・ナガレのセクハラまがいの言葉を丁重にかわす秘書。
エリナ・キンジョウ・ウォン。

「それはまた明日でもいいじゃないか」
 
そしてそれを更にかわすアカツキ。

「いいわけないでしょ! 明日は朝から重役会議があるのよ!」

気に入った女の子をみればすぐに落としにかかる遊び人のような容姿、性格の男。
飄々として流れていくような態度が人によっては非常に気に障ったりもする。
だがエリナはこの男が運だけでこの地位にいるとは思っていない。

その飄々とした雰囲気はあくまで相手を油断させるカモフラージュに過ぎない。
本当はとても切れる頭脳をもっていることを理解していた。

「大丈夫。僕は重役出勤だから……」
「っ! ……はぁ〜〜〜」

だがやはりこの態度は気に障る。というか疲れる。
何度火曜サスペンスな想いを抱いたか分からないぐら。……近くに花瓶がなくて良かった。
自らの精神状態を整えるべく、深呼吸を重ねていると、ふいに電話がなった。
秘書として、自然な振る舞いで電話を取る。

「なんですって!」
 
そしてまた精神状態が乱れた。

「どうしたんだい?」
「廃棄予定だったセレナイトタイプが覚醒して脱走。それが今、こちらに向かってるらしいわ!」
「それは凄い」
「三課の人員がすでに何人か接触しているらしいけど、着実にこっちに向かっているって」

三課というのはネルガル会長警備部第三課でいわゆるシークレットサービスである。

「たしか身体能力も遺伝子操作で高められているらしいから三課でも手に余るかもね」
「なに呑気なことを! こんなことが社外に漏れれば大変なことになるのよ!?」
「でも対象は一応社内にいるわけだしね。しかもこっちに向かっているっていうじゃないか。一度会ってみたかったんだ」

「会長の知らぬところで生み出されたとはいえ、それをセレナイトタイプが理解しているとは限らないのよ!?
ネルガルのトップである貴方に復讐するために向かっているのかもしれない。むしろその可能性が高いわ!」

「念のために三課を数人侍らせておくよ。さあ、丁重にお迎えしてくれ」





■   ■   ■





「流石にそれ目的で作られただけあって凄まじく綺麗だね。しかも魂の抜けた人形ではないから尚更だ」
「お前と取引がしたい」

会長室に入ってきたセレナイトタイプはアカツキの賛辞を無視して開口一番にそう言った。

「へぇ〜、それは興味深い。で、なにがお望みなんだい?」

傍らで震えるエリナとは違い、余裕綽々でセレナイトタイプの言葉を聞くアカツキ。
取引を持ちかけられたからには問答無用で殺されることは現時点ではないということだ。

「俺の要求は三つある」

来る途中にシークレットサービスを視覚的な錯乱に陥れた全裸に白衣だけという素敵な格好と相反する鋭い声。
鋭いながらもセレナイトを冠するような透明な声色は美しい。

「まず一つはオレをナデシコのパイロットとして雇うこと。そして次にネルガル月面研究所にいるヒューマン・インターフェース・プロジェクトの実験体、一体をオレの保護下におくこと。
そして次にオレにある程度独立した権限を与えること。三課に所属させてお前の直属の部下という建前でだ」

「な、なぜ貴方がナデシコのことを!? それに月面研究所のプロジェクトはごく一部の人間しかしらないはず!」

セレナイトタイプから次々と漏れ出る驚愕の事実に戦慄するエリナ。

「まあ確かにそれも気になるけど、君はどうしてナデシコに乗りたいんだい? わざわざ乗りたいというのは何か目的があるのかい?」
「そうだ」
「差し支えなかったら教えて欲しいんだけど」
「守りたい人がいる。……それだけだ」
「守りたい人? ……君に?」
「ああ」

今まで研究所の中で意志すら持っていなかったモノが突然意志を持ち誰かを守るという……。
少なくともナデシコの中にセレナイトプロジェクトに関わった人間はいない。
謎は多かった。

「それでオレの提案を受けるのか?」

「う〜ん、そうだね。……でも取引というのは言わば天秤と同じでさ、
君の利益とこちらの利益が等価にならないといけないと思うんだ。今のところ圧倒的に君の秤の方が重いんだよね」

「お前の命はそんなに軽いものなのか?」
「!?」

エリナが目を見開く。

「いやまあ確かにそれは結構重いよ? でも僕も一応企業のトップであるわけだから自分の命よりも重いものがあるわけさ。
アポ無しで尋ねてきた人間にそんな権限を与えたり重要なプロジェクトに参加させたり出来るわけないだろ?」

「そうか……」

辺りに緊迫した空気が流れる。シークレットサービスは銃を構える。

「じゃあ一つお前の秤に重りを乗せてやるよ。オレはボソンジャンプの秘密を知っている」
「なっ!?」

今度は流石のアカツキも驚いた。

「もしこの取引に応じるならボソンジャンプの研究に協力してやってもいい。それにオレの正体も少し教えてやってもいいが?」
「そうだね。なら早速今晩、君と朝までじっくり語り合いたいと思うんだけど。これも重りの一つに追加してくれないかい?」

速攻で商談成立。
ボソンジャンプの重りより追加の重りのほうが重要だったりするアカツキ会長であった。




■   ■   ■




「ご指定のマシンチャイルドはこちらです。すでに所定の手続きは済ませてあります」
「そうか、ありがとう。」
「い、いえ!」

本社から来た黒いスーツの超絶美少女、セレナイトと名乗る女性の言葉に、独身研究員は純情な青年のように反応した。
明らかに年下の容姿だが、その雰囲気や言動には自分を圧倒する何かがあった。

ナデシコ級戦艦の開発と共に進められていたヒューマン・インターフェース・プロジェクトによって生まれた実験体の保護。
因みに第一世代が星野ルリであり、これから回収するのが第二世代。目の前のこの美しい少女がそれを行うらしい。

そしてどうやら同じIFS強化体のようでもある。というかそんなどうでもいい事よりも、目の前の少女は桁違いに美しかった。
研究員はそのことで頭が一杯だった。

彼の悶々とした想いをよそに美少女は目の前のドアの前に立つ。
ゆっくりと中に入ると、そこにはイスに座る白桃色の髪の毛の女の子がいた。
年のころは五,六歳であろうか……。虚ろな瞳で空を見つめている。

「一ヶ月前までは無機質でしたが、それでもある程度の人間らしさがありました。
しかし最近になって突然、反応がさらに希薄になってしまっています。まるで人形のように」

「……反応が変わった?」

確かに今こうして自分が目の前に居ても特に興味を示そうとしない。
虚無を抱えているような雰囲気だ。

(もしかして、このラピスは)

ゆっくりとしゃがみ込み目線を女の子に合わせるが、視線が合うことはない。
女の子の視線に焦点がないのだ。

「……ラピス?」

少女に問いかけるセレナイト。

「………………」

少女は反応しない。もう一度同じ名を問いかけた。それでも反応しない。
……いや。焦点のなかった視線がセレナイトに合わされる。

「だれ? ……どうして?」

少女は虚ろだった瞳に不思議そうな感情を込めて問う。
現時点で自分の名前は実験体としての記号でしかないし、ラピスという名をくれたのは自分にとって一番大事な人。
でも目の前の女は姿かたちがその人とは全く違うのに、その名を呼んだ。

「やっぱりそうか、でも良かった。……本当に良かった」

目の前の女は瞳を少し潤ませながら言う。
自分のエゴで連れて行ったのに自分だけが生き残ってしまった罪悪感に駆られていた。
だが自分同様この子も生き残ってくれたのだ。

「どうして、私の名前を知ってるの?」

もう一度疑問に思っていることを口にする。

「どうしてって、約束したじゃないか。今度はすぐに迎えに行くって。
それともラピスはオレのことを忘れちゃったのか? まあこんな姿だとわからないのもしれないけど……」

「……アキ……ト? …………アキト?」

「今はセレナイトって名前になっちゃったけどな」

そう言って目の前の少女は優しく微笑んだ。
その面影が一番大事な人のそれと重なった。

「アキト……アキト、アキトぉ」

セレナイトの微笑みを受けたラピスは爆発する感情に任せて抱きつく。
元々起伏の少ない感情のため動作自体は控えめだが、小さな身体から目一杯の感情を放出していた。

「アキトぉ……私、また一人になって……悲しくて、怖くて……」
「大丈夫。もう大丈夫だから。これからはずっと一緒だ。ラピスをずっと守ってあげるから」
「うん、アキト……もうずっと一緒だから……絶対に一緒にいるから」

ラピスのその言葉に答えるように、アキトはよりいっそう強くラピスを抱きしめた。

「あ、あの、これは一体?」

目の前の光景についていけない研究員は呆然としながら、ただそう呟いた。





■   ■   ■




「ユーチャリスの暴走か、それともオモイカネの意志か、あるいはオレ自身のせいか。とにかくあの時に俺達はボソンジャンプしたようだな」

研究所を後にし、ホテルに泊まった二人。
明日には地球に戻る予定だ。

「うん。もしかしたらオモイカネがやったのかもしれない。最後に、生きてラピス。って言われたから」
「……そうか。オモイカネが。だがそうだとしても身体ごとではなく精神だけでジャンプしたというのは良く分からないが」
「私にも分からない。」
 
恐らくこの謎は明かされないだろう。
そんな気がする。

「いずれにせよ分からないことを考えても仕方がない。現実にオレとラピスがここに居るということだけで良い」
「うん、でも……これからどうするの?」
「ナデシコに乗ろうと思ってる」

「ナデシコに?」
「ああ、それで今度こそユリカを守る」
「でも、今のアキトは……」
「分かってるよ」

ラピスが訴える通り今のアキトはアキトではない。
ラピスですら分からなかったように外見は完全な別人
。しかもご丁寧に超絶美少女。

そう、アキトの身体は天河アキトではなく愛玩用IFS強化体、通称セレナイトなのだ。

「なんの因果か、罪人であるオレへの罰なのか、女になってる。
もう気がついたときには死ぬほど驚いたよ。思わず王子様らしからぬシャウトをしてしまったくらいに。
しかもその声がまた可愛くて凹んだしさ。……ってそうじゃなくて」

ついつい走り出した愚痴が止まらなくなってしまったセレナイト。

「こんな身体で、女になった状態でユリカを愛することなんて、ユリカに愛されることなんて出来るわけがない。
俺は構わないが、アイツは何でもありみたいに見えて結構古いというか、どノーマルだからな。……絶対に断られる。
無理やりってわけにもいかないだろ? 多少強引なのが好きみたいだが、それは男の俺の場合であって女だったら絶対に無理」

「なにを言ってるの? ……アキト。」

「え、あ、いや。……と、とにかく例えユリカともう一度添い遂げることが出来なくても今度は必ずアイツを守ってやりたいんだ。
ルリちゃんも、ラピスも皆が幸せになれるように。そのためにオレはオレの持てる全ての力を使ってユリカを、みんなを守る」

「アキト……」
「また、協力してくれるか?」
「もちろん。私はアキトの目、アキトの耳、アキトの手、アキトの足、だから私はいつもアキトと一緒」
「ありがとう、ラピス」
「……うん」

セレナイトの優しい微笑みを受け、心が温かくなるラピス。
全てが終わってからアキトは少しずつ笑ってくれるようになった。
それがラピスにはとても嬉しかった。

アキトと一緒に死ぬことはイヤじゃなかったが、もうこれ以上アキトと一緒に居られなくなるのは寂しかった。
だからまたこうして一緒に居られることが本当に嬉しい。

たとえ外見は違ってもアキトはアキト。今となっては何の違和感もなかった。

「アカツキとの交渉は済んでいるから、俺達はナデシコに乗ることが出来る。
ナデシコに乗って俺はパイロットをやる。そして、恐らくいる筈のこの時代のオレを鍛えるつもりだ」

「アキトが、アキトを鍛える?」
「そう。この時のオレは正直言って半人前だ。だからオレはオレを一人前にして、ユリカを守れるような男にする」
「でもそうしたらアキトはユリカと」

「いいんだ。さっきも言った通り俺にはもうユリカに愛される資格はない。
ならせめてアイツが幸せになれるようにするのが、オレがアイツにしてやれるせめてもの償いだ」





「だから地球に戻ったら俺がオレをスカウトしてナデシコに乗せる……。
あの時は偶然ナデシコに乗れたが今回もそうなるとは限らないからな」






 



 




 

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